COMPANY
STORY
水を守って七十年(昭和25年創業)
昭和20年代、戦後復興の象徴として、何としても飲料水施設の整備が急がれる時代、旭川市で初めての水道事業として、水源地忠別川の取水施設工事がスタートしました。
当社初代社長の白井朝治は中国満州で身につけた水道工事のノウハウを、終戦後帰国した日本に持込み、昭和25年旭川の地で初めての水道工事店、大明建設を設立、このときから、旭川市における水道施設の拡充は当社の大きな使命でありました。
旭川市による工事の発注では、元請けの鶴間組(後に2代目となる稲尾實在籍)の下請けとして大明建設が仕事をし、昭和26年に600mm水道管を忠別川伏越横断させるにあたり、当時としては珍しい水中掘削工法にて施工、昭和27年に完工させました。
その後、陸上自衛隊第2師団駐屯地までの配水本管布設工事を直接受注、市内の配水管整備に伴い、社内体制を整えて給水工事もスタートさせました。
先駆者として旭川の水道事業者の地位を整えつつある矢先の昭和30年、初代社長の白井朝治が病に倒れ、鶴間組より2代目社長として稲尾實氏を迎え入れました。
その後、旭川市及び近隣町村の水道の普及とともに会社の業績を順調に伸ばす一方、業界団体である旭川市管工事業協同組合を設立、昭和47年に理事長として就任、昭和54年には業界念願の「旭川市水道会館」建設に尽力し、昭和60年には「建設大臣表彰」、昭和63年には北海道の水道事業関係者で初めての叙勲である「勲5等瑞宝章」を受賞、夫婦揃って皇居での授賞式に参加しました。
2代目社長も業界のリーダーとして永く頑張っておりましたが、平成7年3月はじめての企画であるハワイ社員旅行を前に病に倒れ、同年7月逝去しました。その後は、3代目社長として稲尾太が故人の遺志を継ぎ現在に至ります。
他社にはないこのような歴史があることから、社員の心には、常に業界のリーダーとしてのプライドが刻まれており、業界No1の施工能力・機動力と実力を保持しなければならないという強い責任感が根付き、突発事故(本管漏水事故)などの緊急対応では、全ての職員がプロ意識を持った強靱な対応力・人間力を発揮します。工事完了後は何事もなかったかのように、現場を離れ会社で明るく集う姿に、旭川の水を70年間守ってきた、誇り高い個々のプライドを感じます。
私共が守っている水道事業は、社会構造や自然災害などの環境の大きな変化、ポスト・コロナ時代においても、公衆衛生を維持するために無くてはならない、最も重要なライフライン。そこに人々の命と暮らしがある限り、水道をいつまでも守り続けていくことが使命です。
大明建設はこれからも続きます。
社長の言葉
1950年に創業した当社も、皆様のお陰で70年目を迎えました。
その間、お客様そして、その時々を支えてくれた職員の皆様のお陰です。
「会社はすべては人」であると思っています。だからこそ職場で働くスタッフをリスペクトしています。
当社には実際、他の職場では務まらなかった転職者も多く在職しておりますが、全員素晴らしいスタッフです。
そのような人たちも貴重な戦力となり、毎日生き生きと、そして永く一緒に会社を作っていることが私にとって一番嬉しいことであり、誇りに思っています。
仕事のやり方は管理しても人は管理しません。仕事が出来るかどうかではなく、出来ると信じるかどうか。
人を育てるとは信じ続けることと思っています。この会社が好き!と思ってもらえる職場づくりは私の大きな仕事です。
会社概要
会社名 | 大明建設株式会社 |
代表者 | 稲 尾 太 |
本社所在地 | 〒070-0028 北海道旭川市東8条1丁目 2-17 |
資本金 | 2,000万円 |
設立 | 1950年6月15日 |
社員数 | 27名 |
建設業許可 | ・北海道知事許可(特・般29)上第00868号 土木工事、管工事、水道施設工事、消防施設工事、とび・土工工事 ・北海道23貯第5号 貯水槽の清掃 ・北海道知事許可第00100134149号 産業廃棄物収集運搬 |
指定工事店 | ・旭川市水道局 ・東神楽町 ・当麻町 ・鷹栖町 ・比布町 ・和寒町 ・剣淵町 ・士別市 ・美瑛町 ・上富良野町 ・中富良野町 ・富良野市 ・深川市 ・芦別市(給水装置工事・排水設備工事) ・愛別町指定(給水装置工事) ・東川町指定(排水設備工事) |
待遇 | ・転勤無し ・単身用/世帯用社宅完備 ・社員用洗濯乾燥室 ・浴室 ・除雪機等の貸出 ・健康診断 ・AED完備 ・私傷病の入院費用/通院費用を補填する医療支援制度 ・各種祝金 ・共済制度 ・貸付金 ・制服、鍵付きプライベートロッカー等 |
工事部
官庁工事を主に携わります、技術者数、知識と経験、直営での施工体制と機動力は当社の一番の強みです。
設備部
民間工事を主に携わります、対面営業から設計、施工、顧客対応、チームワークで他社との差別化を図ります。
総務部
経理、庶務、会社全体に関わる事務を扱います。信用と正確さが命です。各現場担当者とは原価収支をネットワークで情報共有しています。
大明建設の歴史
昭和22年6月 | 白井朝治(初代社長)終戦により満州(現中国東北区)から帰国する |
昭和25年4月 | 東京都新宿にて建設業開始の準備。旧軍用施設の解体整理を当時の内務省から業務委託にて受注 |
昭和25年6月 | 大明建設株式会社を設立登記する。 本 店/東京都新宿区内藤町11番地 支 店/旭川市南1条24丁目右10号 役 員/代表取締役 白井朝治・専務取締役 岩田仁三郎 資本金/100万円 |
昭和25年8月 | 旭川市水道第1期拡張工事が始まり、鶴間組の下請けとして、市直営班と当時としてはめずらしい水中掘削工法を用いて全線の施工を行う(27年3月完工) |
昭和27年12月 | 陸上自衛隊第2師団駐屯地までの配水本管布設工事受注 |
昭和28年4月 | 旭川市内配水管整備に伴い、給水工事を編制する |
昭和30年9月 | 創立者 白井朝治 病のため逝去 |
昭和32年4月 | 稲尾 實 2代目社長として就任 本店を旭川市1条通17丁目左1号に移転 |
昭和37年4月 | 上川管内簡易水道普及促進に参加、実績を上げる |
昭和47年4月 | 旭川市管工事業協同組合、理事長に稲尾實 就任 同年5月、専務取締役として渡辺寛一氏を迎える |
昭和51年4月 | 取締役総務部長として中嶋栄喜氏迎える |
昭和54年6月 | 業界念顧の旭川市水道会館建設に理事長として尽力 |
昭和55年6月 | 創立30周年記念式典を開催 同年9月、稲尾實社長旭川市功績表彰受賞 |
昭和59年7月 | 資本金1,000万円に増資 |
昭和60年7月 | 稲尾實社長建設大臣表彰 |
昭和62年5月 | 稲尾實社長勲五等瑞宝章を授与。家族と共に皇居にて授賞式出席 |
昭和62年5月 | 前専務 渡辺寛一氏病のため逝去 |
平成元年1月 | 取締役専務として米津 満氏を迎える |
平成元年6月 | 旭川市水道施設工事業協会設立 初代会長に稲尾實就任 |
平成7年2月 | 阪神・淡路大震災で水道復旧のため神戸へ当社職員、江口氏、上平氏派遣。 同年3月、創立45周年を記念してハワイ社内旅行の実施。 同年7月、稲尾 實 病のため逝去、稲尾 太3代目社長に就任、取締役副社長に米津 満氏就任、取締役会長に稲尾みよし氏就任 |
平成9年10月 | 資本金2,000万円に増資 |
平成11年6月 | 取締役営業部長に藤澤 均氏就任 |
平成12年6月 | 創立50周年を迎える |
平成13年1月 | 創立50周年記念式典開催 |
平成14年5月 | 当社職員 阿曽氏 国土交通大臣表彰を授与 |
平成15年5月 | 専務取締役に藤澤均氏 就任 |
平成16年5月 | 当社職員 阿曽氏 叙勲、瑞宝単光章を授与 |
平成18年5月 | 監査役に狩谷幸恵氏 就任 |
平成23年3月 | 東日本大震災に際し水道復旧の為、宮城県石巻市へ職員森井氏、日置氏派遣 |
平成27年5月 | 旭川市管工事業協同組合 副理事長に稲尾太 就任 |
平成29年6月 | 旭川市水道施設工事業協会 会長に稲尾太 就任 |
平成30年6月 | 本社 旭川市1条通17丁目より 旭川市東8条1丁目へ移転 |
令和2年4月 | 取締役工事部長に林上昌之氏 就任 |
令和2年4月 | 旧社屋跡地 セブンイレブン1条17丁目店として運用 |
令和2年6月 | 創立70周年を迎え 現在に至る |
当社の工事施工内容案内
上下水道施設工事 | 公道(道路)の上・下水道本管の敷設 | |
給排水管布設工事 | 住宅敷地内の埋設給排水管布設工事 | |
住宅設備工事 | 住宅内部の給水・給湯・暖房・空調・衛生設備工事 | |
機械設備工事 | 公共工事中心のRC造(コンクリート)建築物での給水・給湯・空調・暖房・衛生設備工事・給油設備、消防設備(スプリンクラー設備・屋内消火栓)工事等 | |
その他 | 飲料水設備の点検・清掃業務 | 市営住宅受水槽清掃・給水ポンプ点検等 |
消火栓・下水マンホール・制水弁の保守・点検 | 消火栓・下水マンホール・制水弁 | |
一般ユーザー修繕業務 | 水回りの修繕・漏水修繕・便器取替え等 |